麻生藩家老屋敷記念館 |
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江戸時代、現麻生小学校の場所に麻生藩陣屋があり、その周囲に藩士の屋敷が並んでいた。その一つが藩の家老職を勤めた畑家(現麻生藩家老屋敷記念館)である。 |
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現存する主屋は、安政3年(1856)に火災で焼失し、翌安政4年に再建された。明治23年(1890)福田家の所有となり、平成3年福田家より
旧麻生町に寄付され、平成4年に表門を含め修復整備したものである。上層武家住宅の遺構は、県内にも数が少なく貴重なものとなっている。 |
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麻生藩について |
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麻生藩は、慶長9年(1604)、新庄直頼が常陸、下野両国に3万3百石を与えられ、麻生を居所としたことにより成立した。 |
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延宝4年(1676)、5代直矩が17歳で卒、嗣子がいなかったこと等を理由に領地を没収され、一時断絶したが、同年中に一族の新庄直時が1万石に取り立てられ、6代藩主となった。 |
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明治4年(1871)の廃藩置県により、15代直敬を最後の藩主とし、267年続いた麻生藩の歴史を閉じた。 |
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関東内に配置された外様の小藩で、一度の移封もなく、明治の廃藩を迎えた麻生藩は、特異な存在であったともいえる。 |
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表 門 |
| 薬医門に属する。
建造年は不明であるが、主屋とともに昔日の面影を残し、今日まで維持されたのは、福田家の当主及び後継者がその保存に尽力されたからである。 |
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主 屋 |
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桁行八間、染間五間半を主屋本体とし、屋根は基本的には寄棟造になっているが、正面の式台玄関及び主屋東方の土間上にあたる大棟部を入母屋造りとする規模の大きな茅葺屋根である。畳の部屋数が多く、土間部分が小さいという点に武家住宅としての特色が見られる。
部屋は、『式台』から『玄関の間』、そして『座敷』と続くところが武家屋敷としての主要部分となっており、『内玄関の間』から『取次の間』、『次の間』と続く部屋がいわば表向きの接客空間で、その他の部屋が内向きのものとなっている。 |
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〜〜〜〜〜〜市指定・建造物 麻生藩家老屋敷記念館(主屋・表門)〜〜〜〜〜〜 |
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麻生陣屋地絵図面 |
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−麻生御殿向表御間取− |
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図面は縦1.2m,横1.7mの大きさで、年代の記入はないが江戸時代末期のものと考えられる。また、この図面によって、当時の御殿、庭園の様子をある程度知ることができる。建物は東向きに建てられていた。 |
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〜〜市指定・歴史資料 麻生御殿向表御間取〜〜 |
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麻生藩陣屋地跡 |
| 所在地:行方市麻生1147-1 (現在 麻生小学校) |
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麻生藩新庄氏は慶長九年(1604)常陸、下野に三万三百石余を領有し、麻生を居住地として陣屋を構えた。陣屋地の面積は約二万七千平方メートル、陣屋(建物)面積は千二百八十七平方メートルあった。子弟の教育のため邸内に藩校『精義館』が設けられた。 |
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歴代藩主は、初代直ョ、二代直定、三代直好、四代直時、五代直矩、六代直時(一万石に減封)、七代直詮、八代直祐、九代直隆、十代直候、十一代、直規、十二代直計、十三代直彪、十四代直○、十五代直敏であり、明治維新まで二百六十七年間移封もなく存続した。 |
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陣屋地跡は、明治八年から二十年まで草創期の麻生小学校、昭和四年から四十九年まで県立麻生高等学校(旧制麻生中学校)、昭和五十年から現在の麻生小学校の敷地となった。 |
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周辺マップ |
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麻生藩家老屋敷記念館には、専用の駐車場がありません。
乗用車利用の方は麻生公民館の駐車場をご利用下さい。
麻生公民館から、点線沿いに歩いて、約300mです。
高速バスご利用の方は、鉾田駅行きに乗車、「行方市役所麻生庁舎」で下車して、約400mです。
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■ 利用案内 |
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■ 利用方法 |
| ☆開館時間 |
AM 9:00〜PM4:00 |
☆ 来館の際には、備付けのノートに住所・氏名をご記入ください。 |
| ☆開館日 |
木・金・土・日及び祝祭日 |
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(年末年始は除く) |
☆ 庭園内は禁煙 |
| ☆入館料 |
無 料 |
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