| ■幕末史関連年表▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ |
| 年 号 | 月 | 事 柄 |
| 文政 2年(1819年) | 徳川斉昭、藩主になる。 | |
| 嘉永 6年(1853年) | ペリー来航 | |
| 安政 2年(1855年) | 安政の大地震 | |
| 安政 5年(1858年) | 6月 | 日米修好通商条約 |
| 7月 | 斉昭「急度憤」 | |
| 8月 | 戌午の密勅 | |
| 9月 | 勅諚問題で水戸藩二つに分かれる。 | |
| 安政 6年(1859年) | 5月 | 士民が多数小金駅に屯集 |
| 7月 | 斉昭に永蟄居、慶篤に差控、安島帯刀ら水戸藩浪士に切腹を命ずる。 | |
| 8月 | 安政の大獄 | |
| 12月 | 尊攘派の藩士、郷士、神官、郷医、農民ら数百人が水戸街道の長岡駅に屯集し、幕府の弾圧と藩に鎮撫に反抗し、気勢をあげる。 | |
| 万延元年(1860年) | 2月 |
23日、藩庁、勅諚返納に決する。 長岡駅屯集の士民ら、勅諚返納の不可と同士屯集の趣旨を藩庁に述べ、自ら解散する。 |
| 3月 | 勅諚返納反対の尊攘激派、井伊大老を暗殺 | |
| 8月 |
15日、斉昭死去 27日、水戸藩士、林 忠左衛門、吉成 恒次郎ら37人、鹿児島藩 江戸芝邸に投じ、攘夷の先鋒たらん事を請う。 |
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| 11月 |
以降、水戸領内浮浪の徒、党を結び、各地に横行する。 24日、水戸藩前家老、岡田・大場・武田を起用して藩政に参加させる。 |
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| 文久元年(1861年) | 1月 |
玉造郷校に大津之綱、野口哲太郎ら数十人屯集。尊皇攘夷を唱える。 この月、水戸藩浪士と称し、攘夷の軍資金800余両を下総国佐原村に奪うものあり。 |
| 2月 |
7日、府諸藩に命じて水戸藩内に集まる浪士の府内に入ることを備えしめ不審の徒を逮捕せしむ。 9日、水戸藩主徳川慶篤、直書を家老に下し領内の鎮撫を命ず。藩庁、目付・郡奉行らに令して、不法の徒の藩外脱出を防ぎその逮捕に努めしむ。 武田正生・・・玉造勢の心情を理解し、解散への説得に努める。 ・玉造勢200人、解散を決定 10日、水戸藩家老一門閥派の鳥居・太田・大森にかわる。 ・玉造勢の運命変わる 13日、佐倉藩、兵を出して常陸国潮来屯集の浮浪に備る。 24日、玉造・小川・潮来等に集まれる士民ら漸く幕府の説論に服して鎮撫せんとす。この日、大津彦五郎・野口哲太郎ら9人前後自訴す。 <行き過ぎの行為あれば反省し代表として処罰を受ける。軽輩者は帰宅させる。> |
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| 5月 | 28日、元水戸藩士、有賀半弥ら高輪東禅寺の英国行使館を襲う。 | |
| 6月 |
14日、幕府令して東禅寺襲撃の浪士、有賀半弥、岡見留太郎、前木新八、森半蔵、渡辺剛蔵、黒沢五郎らを逮捕せしむ。 24日、水戸藩家老、杉浦羔次郎、同肥田大介をやめて逼塞に処し、元家老岡田徳全・同大場景淑・同武田正生の政務参与を免じて景淑・正生は謹慎、太田誠左衛門、鳥居瀬兵衛を家老に復す。 |
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| 7月 |
11日、品川御殿山に各国大使館設置を決す。 8日、9日、水戸藩令して東禅寺事件の残党及び浮浪の徒を逮捕せしむ。 |
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| 10月 | 3日、大津彦五郎病死す。 | |
| 文久 2年(1862年) | 1月 | 坂下門外の変。水戸浪士、老中 安藤信正を襲う。 |
| 2月 | 将軍 家茂と和宮の婚儀。江戸城で行われる。 | |
| 8月 |
2日、議奏 中山忠能、同 正親町三条実愛、同 野宮定功、武家伝奏 坊城俊克、荻世子 毛利定広を学習院官武間の処分せらし者、或は幽閉せられし者らの特徴、殉難者の収葬等に関し叡旨を幕府に輸示せしむ。 9日、幕府、徳川斉昭の三周忌に当たり、側衆 新見正興を太田瑞竜山に差遣し将軍名代として焼香せしむ。また同藩士の戌午以降罪を犯したる者を赦免す。※生麦事件 |
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| 10月 | 16日、水戸藩藩士 林忠正左衛門、根本信平、吉成恒次郎、野村彜之助、竹内百太郎、太宰清衛門ら27名を藩地に送還せんとす。将軍後見 徳川慶喜、その極刑に処せられんことを虜り特に書を徳川慶篤に寄せ、これが中止を勧告す。 | |
| 11月 |
22日、元執政 岡田徳至、大場景淑、武田正生らを執政に復せしむ。 28日、幕府朝旨を奉じて大赦の令を布き、故吉田寅次郎らの建碑を許し、更に諸藩に令して国事に殉ぜし者及び刑に服する者を録上せしむ、また元水戸藩士鮎沢伊太郎ら数十人、逐次釈放せらる。 |
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| 12月 | 26日、水戸藩主 徳川慶篤、戌午8月の勅書奉承を藩中に布告し、密勅降下事件に関係して処罰されし藩士を赦免す。 | |
| 文久 3年(1863年) | 2月 |
4日、電通院で浪士組結成。仕度金10両。 8日、江戸発 中山道 本庄宿 鴨宿無し。 浪士組京都着 ・神官、修験らをして海岸防備を分担させる。 ・湊郷校で10日間の合宿による警備集会が開かれ、領内の神官23人が出席。 |
| 3月 |
13日、新選組結成 ・藩主 慶篤、藤田小四郎、田中愿蔵ら多数の藩士を連れて上京す。 |
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| 8月 |
18日の政変。 京都天満宮に和歌の額を奉納 署名 芹澤鴨・平光幹 |
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| 9月 |
16日、芹澤鴨・平山五郎、暗殺される。 18日、芹澤・平山の葬儀。壬生寺に埋葬。 |
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| 10月 |
19日、野口哲太郎 没。 ・湊郷校に2人の水戸藩士と400余人の農民有志が集合して尊攘運動の気勢をあげる。 |
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| 12月 |
11日、幕府、水戸藩浪人は、新徴組と称し、攘夷の趣旨を曲げて符号を掠奪し農民を誘惑するの徒を厳に捕斬せしむる。 野口健司 切腹 |
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| 元治元年(1864年) | 3月 |
天狗党、筑波挙兵 この年、和歌山藩士 里見二郎、水戸藩士 芹澤又右衛門ら書を前名古屋藩主徳川慶勝に上り、鹿児島藩と斥け会津藩を導いて、公武のために力を尽くさんことを請う。 |
| 慶応元年(1862年) | 2月 | 15日、芹澤豪幹 20歳 |